19世紀のドイツにおける工場の経営に関する文献史の研究
自己努力と相手を慮ること双方を満足する士業を育成する仕組みを作り後世に残すことを目指す中小企業診断士西井克己です。
年末年始にかけて19世紀のドイツにおける工場の経営に関する文献史の研究 岡本人志著 文眞堂を読みました
心に響いた言葉を羅列したいと思います。
「会社経営は、人的な快適さに関して個人経営に勝っておらず。そして一両者において同じ資本力を前提とするとー、経済的利点に関しても全く優っていない。教育を得て、独立心と企業の喜びを与えられ、技術的に十分に訓練され、そして十分な資本または信用を与えられている企業者は、会社構成員としてよりも個人企業者として、より幸福を感じ、そして経済的にもより迅速に前進するに違いない」Emminghaus,K.B.A[1868]S.298-299 P39
労働者の病気と死亡の場合に支援できるように。疾病基金と貯蓄基金が設けられるべきである P154
労働者の人間的な育成を目的として、工場内に専門的な教育機関が設置されるべきであり(教育科目は物理学、数学など)、教育のための講演が行われるべきである。その他に。小さな図書館が労働者のために設けられるべきである。P155
それゆえに、管理は利点を確保し。不都合な点から逃れることを意味する。あらゆる時代において、管理しようとするもの。すなわち管理者(Verwalter)は何よりもまず、自己の目的を知らなければならなかった。それを実施する手段を手に入れ、自己の目標が達成されるまで耐え抜くことができなければならなかった。そして適時に、すべての諸事象について責任を取ることができなければならなかった(Bourcart.J.J.[1874]S.1) P225
小さい工場はまったく工場秩序(Fabrikordnung)を必要としない。特にその工場が非常に小さくて工場主が個人的にすべての個々人を知っているときには、必要としない(Roeskuy,E.[1878]S.116) P272
ドイツの19世紀においても現在に通じることが多々ある。
個人的には、やっぱり経営の本質は
目的を達成するために自社に適した手段をその時代に応じて模索し続ける。
これが大事と感じました。